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2007年 12月 15日
年号と元号
そういえば,国学院大学に出す書類の記入例が元号になっていて,神道系の大学だからなあ,と自分も普段使わない元号を記入していたことを思い出した.僕が元号を使うためには,西暦からいちいち元号に換算しないといけない.えーと,学部を卒業したのは22歳だから2002年で,ということは1988を引くと平成14年のことなのか,といった感じ.横書きだからカンマピリオドだろう,とか元号なんて知らねぇ,とかの普段自分の中で決めてきたルールは,紀要に出すから,とか履歴書を出すから,などの社会的なフェイズを持った瞬間に脆くも瓦解する.そのうち,僕の外来語表記も変わることもあるのかも知れない(コンピュータとかスーパマーケットとか).
僕はある時期に,元号という存在を完全に頭の中から切り捨てた.人一人が死ぬたびにゼロにリセットされてしまうのは,普段から将来にわたって使い続けるには信頼に足らないからだ.多分,僕がまともに生き続けていればその間に少なくともあと1回,もしかしたらあと2回リセットが起こるだろう(天皇が世代を「飛び級」することはないよな?).あれだけ組織の永続性を求めている官僚たちがいまだに元号を使い続け,提出書類にもいちいち使わされているのは,その点では不思議だ.イデオロギー的にはまあそうなんだろうな,と判るけど(「解る」と「判る」と「わかる」の使い分けも僕独自のルールだ).
元号というシステム自体は,中国から輸入されそれを模倣したものに過ぎない.もっとも,同一の天皇の治世に何度も元号を変えていた近世以前の風習は,もしかしたら中国からのアイデアではなく日本版のアレンジなのかも知れない(調べていないが).元号が日本の「伝統」だ,などとは研究者ならばきっと誰もストレイトには信じないが,いずれにせよ僕はゼロ年リセットという予測外のイヴェントを避けるため,極力西暦を使ってきたし,これからも可能な限り,役所の書類に元号で丸をつけるところを全部線で消して,平気な顔で西暦を書くだろう.訂正するのは役人の仕事だ.東大人文社会系研究科の修了証書では,西暦と元号の表記が選べる,と知ったときは凄いと思った.確か文学部の卒業証書もそうじゃなかったかな.
西暦の「ゼロ年」がイエス・キリストの誕生という西洋の伝統に関わっている点は,個人の信仰はともかく,あらゆる宗教団体がどうせ適度に嘘っぱちという僕の見解からすれば,もはや何教でもいいわけだ.夢枕獏『シナン』ではないが,唯一神に関しては神の名前が違うだけだし,ギリシアや日本のような多神教は神々が織りなすストーリが面白いだけで,信仰の対象となるのはアニミズムに立ち返ったときではないだろうか.また西暦ゼロ年がキリストの実際の誕生年とずれているのでは,という点も,虚構でも何でもいいから原点を1個に限定してくれ,という僕の考えからすれば障害にはならない.その点では,元号よりも皇紀のほうがまだましなくらいだ(どうせ原点の設定は恣意的で,虚構性を免れないのだ).今年は皇紀……2667年か.2+6/6+7=10.

by d_ama | 2007-12-15 12:12 | miscellaneous

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