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2007年 05月 25日
弘前さくらまつり2
弘前さくらまつり2_e0017868_064058.jpg日本でもっとも幹が太いソメイヨシノとか,もっとも樹齢の高いソメイヨシノとかがあるらしいが,樹一本一本を見て回る感じではない.量で押し切られる感じ.昼間は入場料を取られる本丸・二の丸も,どうやら夜間は無料で入れるらしい.夜桜の季節の弘前は,まだ夜は肌寒い.東京と同じつもりで2枚くらい着て出かけても,案外寒い.……そんなときは酒を飲んでしまえばいいのだ.弘前大学生(もしかしたら学院かも知れないけど)が新歓花見をしていて,自分にもあんな時期があったなあ,と遠い目.結婚式に使うような巨大な盃を両手で捧げ持って,日本酒を飲んでいる(飲ませられている).北の丸のほうにはサーカス小屋とかお化け屋敷とか,食べ物を売る屋台や小屋が並んでいて,席を作ってある小屋に入れば中で色々なものが食べられる.津軽そばというのは,本来水に浸した大豆をすり潰した「呉汁」をつなぎに使ったものをいう.庭が弘前城西濠に面している店「野の庵」がこれを本格的に再現した(大学に入った年に,みんなで会席料理を食べたが,最近はそばに集中しているという話がある)が,たまたま入ったさくらまつりの食事小屋(?)のメニューにも出ている.一応大豆を混ぜておけば「津軽そば」を名乗れるのだろうか.津軽そばじゃない日本そばもちゃんと別にあった気がするから.店員さんに綺麗な人がいたので,調子に乗ってビールを頼みすぎた.寒いのにビールでお腹を膨らませてしまった.なんてことを書いていると,本当におじさん向けの観光案内みたいになってしまうけど,この数週間,別に青森観光案内をしているつもりはなくて,個人的にまとめているだけです.「青森行きたくなった」と言われると,それはそれで嬉しいけどね.

弘前さくらまつり2_e0017868_0102536.jpg桜のトンネルでは多少開花が遅れるみたいだが,僕が行った4月30日は外堀,本丸などはもう満開.この写真は桜のトンネルではないが,空が桜花で埋めつくされている様子を撮ったつもり.伝わるだろうか?? この桜の花の量は,一本の枝に付く花の数が通常よりも多いためで,夜空と白く咲き乱れた花の対照は寒気がするほどに圧倒的.「狂い咲き」という言葉は通常,暖かい日がたまたま続いて普通よりも早く咲いてしまった場合を指すが,時期はともかく咲き方そのものが「狂っている」という印象を持つような場合,さて何といえばいいのだろうか.桜の季節の弘前を初めて訪れたのは去年で,今年は初めて夜に桜を見たのだが,いずれもその点では同じ印象を持った.

今年は会期前の警察の人出予想で210万人,実際には251万人.昨年は255万人だったらしいが,今年は4月前半の陽気で,GW前に満開を過ぎてしまうだろうという観測があったから(そのためにさくらまつりの会期も前倒しになった),弘前を予定にいれない人も多少いたかも知れない.実際には,GW直前の気温が下がっていたので(僕が訪れる前日にはみぞれが降った),結局例年通りの開花スケジュールとなったのだが.15万人程度の街にそれだけの人が来るとなるとかなりの観光収入で,市の公園緑地課の職員がリンゴの木の剪定技術を用いて桜の剪定をしている.ソメイヨシノは通常60年で寿命を迎えるらしいが,弘前公園(元の弘前城)では樹齢100年はざら.枝に通常以上の花弁がつくのもそのせいという.ちなみに,弘前は陸軍の師団が置かれていたにも関わらず,また青森市は大きな空襲を受けていたにも関わらず,空襲を受けなかったため,街路の幅は狭く,城下町時代の折れ曲った道路がそのまま現代まで引き継がれている.青森市は戦後道路を拡幅したので,ねぶたも大型化することができた,というのを「塞翁が馬」といってしまっては,空襲という被害の記憶を軽んじすぎるだろうが.弘前さくらまつり2_e0017868_0281627.jpg

弘前城は小田原攻めの豊臣秀吉や関ヶ原の戦いの徳川家康らの信任を得た大浦(津軽)為信によって構想され,1603-11年にかけて築城された.落成時には為信は死去しており,2代目の信牧が完成させた.しかし5層5階の威容を誇った天守閣は1627年に落雷で炎上.1810年に3層の櫓を新築することで天守閣とし,現在まで残っている.元の櫓の位置に天守閣が建ったことで,堀からせり上がった石垣からすぐに天守閣が立ち上がることになった.そのため,堀端の桜と一緒に写真に写り込む有名なアングルは弘前城独特のもの.京都の鹿苑寺金閣の有名なアングル同様,堀を渡る橋の上から天守閣に向かってカメラを向ければ,誰でも(僕同様に)城と桜を同時に写せる.また公園内には前川国男の建築が3棟ある.コンクリート打ち放しの弘前市民会館(1964),打ち込みタイルの市立博物館(1976),打ち込みタイルに珍しく勾配屋根を被せた緑の相談所(1980).公園の北側は武家屋敷が残された仲町伝統的建造物群保存地区があり,東側には弘前教会礼拝堂(斉藤伊三郎?,1910),西南には藤田記念庭園(1919)の中に洋館(?,1920)がある.また,南側の弘前市役所(これも前川国男)の脇には追手門広場というのが作られ,旧東奥義塾外人教師館(?,1901)と旧弘前市立図書館(堀江佐吉,1906)が1990年に復元されている.この広場は元は東奥義塾の敷地だったので,前者はほぼそのままの位置だが,後者は移築復元.

by d_ama | 2007-05-25 00:38 | cities/architecture

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