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2007年 04月 23日
いま,建築を保存するということ
docomomo_japanの総会について聞かれた.そういえば,東海大学湘南校舎(山田守の設計)でやるらしいことは聞いていたが,すっかり忘れていた.今調べてみたら,4/14に終わっていた.なんとなく,その場で提供されるだろうメニューは予想がつくのだが,僕自身の建築保存へのスタンスが不明確なままで,その手のイヴェントに参加するのは何かに反している気がする.

しかし,いつか湘南の東海大学校舎は見てみたいものだ.ちょっとした誇大「妄想」とか大言壮語とかの下に,私立学校は創立されてきたのかも知れない(理念の薄い私立学校も中には存在していて,開成などその最たるものではないかとも思う).今だったら,その「妄想」が校舎という形になること,つまり「妄想」が建築に及ぶことは少ないかも知れない.たしかに東海大学発展期に入手した,富士を望む湘南の原野を訪れていれば,この妄想を固定化し,形(造形/制度)にする情熱にも納得がいったのだろうが,今この現状で巨大なキャンパスとか都市とかの建築群を構想する想像力が働きにくいのは,そういう状況ゆえ,としか言様がない.ブラジリアも筑波も,二度と生まれることはないだろう.東海大学湘南校舎も,そうした「二度と現れないだろうキャンパス計画」の一端である.

時代が建築ではなく制度に向かっている,ということを強く感じている.例えば,美術館を建てるのが重要なのではない.建ってしまった美術館を活かすための制度更新が重要だったりする.大学校舎も山田守のような(あるいは安田講堂のような)象徴性を求めるタイプの設計にはなりにくい.東海大学が大規模に校舎を更新することも考えにくくて,今彼らにとっての重要課題は東海大学・北海道東海大学・九州東海大学の統合であり,つまりは組織制度の再構築である.LEC大学は何の変哲もないオフィスビルの一角だし,東大工学部新2号館は既存建物の上に覆いかぶさるガラスの箱だ.株式会社立の大学とか,独立行政法人とかの制度の補修・整備が時代の趨勢であって,造形にはあまり関心が持たれていないのではないか.建築にメッセージ性を求めているのは,僕の知る限り,東京工科大学くらいだ.

ならば造形のセンスを持った人がそのセンスを活かす道は何だろうか.もちろん,住宅など小規模の設計に向かうのが多数だろう.もっと小規模に,インテリアや家具に向かう人もいる(ウェブデザインやグラフィックになると,今僕が考えている「造形」とは別の能力になるだろうから,当面考えない).しかし,自ら作るのではない方向にセンスを活かすとしたら,もしかしたら──既存建物の評価と,その結果としての保存が浮上するのかも知れない.

by d_ama | 2007-04-23 02:28 | cities/architecture

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