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2005年 08月 17日
札幌で出会った人々
新千歳空港に着くと,予定通り,以前僕がやったテーマと同じテーマで修論を書いたHさんに連絡をとってみる.北大で日本学術会議のシンポジウムを開いたので,その打ち上げで飲んでいらっしゃってて,その席に飛び入り参加することになっていた.シンポジウムの講演者でウチの研究室の元ボスで僕に某仕事を下さったSSK先生(しかし僕は半年以上期限を延ばしてしまっている)は,さすがにその席にはいないと当初伺っていたので,その仕事に関連する話は東京で再度行うつもりで,とりあえず4丁目(正確には,ハンズの向かいだったので6丁目)に直行.しかしその途上で,SSK先生までいらっしゃることが判明.行ってみると,大阪の美術館から赴任された助教授のSZK先生が主に会話をしきっていて(笑),SSK先生とHさんの間に席を取って下さり,Hさんがたまたま女性だったため,ペアみたいに扱われてしまった.あまりそういう扱われ方に慣れていないので(笑)Hさんには申し訳ないなあ,と思いつつ,札幌のビール・日本酒とホッケを楽しむ.北海道のホッケって東京のとは比べ物にならない大きさと味なんです.「モエレ沼には今回行こうと思っているんです」と話したら,そのシンポジウムのエクスカージョンで行くことになっていたそうで,それにまたまた便乗することに.今回の札幌行きは,何だか恵まれている.SSK先生には,疑問が生じた某仕事を「それでも続けなさい」といわれ,ちょっとしょんぼり.
その日は東西線で琴似まで乗って,タクシーで祖父母宅へ(実は宮の沢まで乗ったほうがタクシー代が浮いた).時間遅いのに祖母は起きて待っていてくれた.世界陸上を楽しむ.
次の日は昼に北大キャンパスを訪れ,会議弁当をごちそうになり(いくら札幌といっても,会議弁当は全国標準レベルみたいです),バスでモエレ沼公園に.SZK先生がますます絶口調でもちあげられたりつっこまれたり.関西のノリに北大の人はついてきてくれないとこぼしていたが,東京からというより,僕にはそのサポートは難しかったです.実はモエレ沼に行くつもりといいながら,全く行き方を知らなかったことにバスの中で気付き,改めて感謝.しかも行けば日に3,4回行われる「海の噴水」ショーが見られ,公園の園長が「ガラスのピラミッド」を案内してくれるという.
到着後まず芝生を抜けて海の噴水へ.単なる噴水で40分の見学か,と思いきや,単なる噴水ではなかった.噴水そのものはごく抽象的な運動・形態をとるのだが,その規模や激しさが見れば見るほど強い意味を帯びてくる.高緯度で空気の(比較的)綺麗な札幌の,陰陽のはっきりした日光を浴びながら,快晴の空の下で見たので,今までにない印象を覚えた.北大のSさんが学術会議メンバーの歳を召されたご婦人(お名前を存じ上げない)に日傘を差しかけ荷物を持って写真を撮って差し上げたりする献身的な姿もまた印象的でした.
ガラスのピラミッドでの園長の話自体はそれほど特別なことはなかったが,この公園計画が札幌市グリーンベルト計画の一環をなしているというお話が興味を惹いた.その計画今でも続いてるの?と,聞けばよかったと後から気付く(この辺りから,僕の頭が状況に対し後手後手になってきていた).
プレイマウンテンとモエレ山とどちらに登る?と聞かれ,(SSK先生がいない方,というのではなく)高い方を目指し,モエレ山登頂.242段か264段かの階段を登り海抜62mの頂上へ.山サークルに一時いた人間としては余裕なのですが,木陰ゼロなので短い札幌の夏真っ盛りを肌に焼き付けた.それでも,風が乾いているので気分は良好.
降りてから,バスで札幌駅へ(祖父母は「駅前」といえば札幌駅前を指すのですが,最近の人はサツエキと呼ばないと通じないみたいです).学術会議メンバーを下ろし,バスは北大へ.どうせなら,北大の研究室にどうぞ,とHさんに言われたので,駅で失礼しようかとも一瞬考えたけど,そのままバスに乗った.研究室には東大美学にない本が何冊かあり,とくに画集関係が手近に揃っている点はかなり違うなと思う.そういえば,北19条にあった聖ミカエル教会の建築家は,チェコ人と聞いてヤン・レツルでは,と答えたのですが,実はアントニン・レーモンドでした.確かに彼チェコ生まれでしたね.そんな感じで北大の研究生や学部生の人たちと話してました.
しかも,その後北大からグルノーブルに留学される,ゴシック建築を研究なさってるOさんの壮行会があるそうで,その場にまたも飛び入り参加することに(しかもOさんは僕にとって初対面だったのですが……).もうここら辺から僕の人に対する記憶がめちゃくちゃになってきた.
北7条,北大と駅の間にあるイタリア料理屋で,前日・当日を通じて話してきた学部生の方々ばかりか,その席で初めてお会いした方とも出会った.クレーを研究なさっている東女出身Kさんになんで同じく東女出身の芸大Yさんのことを話さなかったのか,とか小熊秀雄というその日まで知らなかったテーマを持っている,確かHMさんになんで大正時代の話をしなかったのかとか,そもそもみんななんでそんなテーマを選んだのか全く聞かなかったとか,まあいろいろです.あまりアカデミックな話をしなかった…….2次会→勢いに乗って北大Y先生と3年生?Nさんと3次会へ.タクシーで帰宅.
14日はぷらぷらとデパートでお土産買い物して,京王プラザ向かいのオフィスビル地下でラーメンを食べて,JRタワーに登り,家で祖父母・叔母・母とすし大盛り大会.一人暮らしではありえない満腹ぶり.
15日は早々に祖父母宅を出て,千歳発AIR DO最終便までの時間をゆっくり過ごす.まずは真駒内からイサム・ノグチ展(札幌芸術の森, 02/07/05-28/08/05.9月には東京都現代美術館に巡回).基本的には造形を見せる展示で,その背後の思想などには立ち入らないポジションを保っていた.ノグチは1920-30年代に一旦抽象を目指したようだが,特に戦後はタイトルに具象性やある種のイメージ喚起が込められている.この変化は,表面上の抽象的な形態だけでは把捉できないように思われる.もっとも,では展示でその変化を文献学的に捉えた成果を示すべきかというと,立場が分かれるところ.無理だろうな,とも思う.興味を持ったら,結局本を読むしかない.有島武郎の北12条の家も芸術の森内に移築されていたが,大正期の住宅としては典型例という印象.マンサード屋根は北海道独特の傾向かも知れない.というか,有島武郎ってそんなに札幌と縁が深かったんだ…….芸術の森近くの猫の看板の店でスープカレーつけめんを食べる.
南北線で中心街に向かおうとするが,途中下車したくなり中島公園.豊平館でも見ようと思ったが,公園内に北海道立文学館があるのを知り,とりあえず入ってみる.絵本作家神沢利子の企画展をやっていたが,文化学院の学生だったのですね.小熊秀雄が何者か初めて知る.プロレタリア文学と美術批評との接点が問題か.少なくとも道レベルではアイヌの文学・伝承にも一定の配慮を示していることを知った.それが東京に伝わらないのは,広島の原爆体験や,沖縄戦の記憶などが伝わらないのと同じ困難さか.
豊平館は,1880年の時点で開拓使にこの技術力があったという点で貴重.しかし当時の課題は,いかに建築物を西洋風に近づけるかという点で,思想的にはまださほど面白くないように感じている.役人が建てたものなので,思想的に追うのが難しそうだ.けれどこの建築,もともとは北1条西1丁目にあったのは意外.そんなに中核の役割を担っていたんだ(今は街の中心がずれているので,北1西1に特別な意味はない).
すすきのでラーメンを食べて,大通りをふらふらするが,工芸品の土産物が買いたいと思い(芸術の森で立ち姿のオコジョぬいぐるみを買っておかなかったのを後悔),ファクトリーへ.しかし特に買いたいものがなかったので,地ビール4杯飲んで駅に直行し,千歳からAIR DO.東京が雷雨だったので心配されたが(実際結構揺れたし),大過なく帰ってきました.

by d_ama | 2005-08-17 07:53 | human network

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