2007年 01月 19日
僕は,研究者というとついアーカイヴ型のイメージを抱いてしまう.つまりある分野に関して物知りで,ある質問を受けると手持ちの知識から滔々と答えを引きだし,そこにある世界観を展開するようなコミュニケーションを思い浮かべ,そのようなヴァージョンのチューリング・テストをパスできるのが研究者である,と想像してしまうのだ.もしかしたら,世間の8割くらいにとっての「研究者」像がそんな感じなのかも知れない. しかしついに最終原稿を学会誌に送る前に,ふと思う.今僕がやっていることは,フィールドとして決して広いものではないのではないか,僕の溜め込んでいる知識などきわめて微々たるものにすぎないのではないかと.やっていることに自信がないのではない.美学にいて建築家の言説,しかも近代日本におけるそれをフィールドにしているなど,僕の中でどんなに自然であっても,外部からみるとあまり自然ではないらしいし,そう思われていることはそれなりに自覚している.外から見ると少々不自然な,10人中2,3人が「あれ?」と気付くようなこと(但しその行為の不自然さを噛み砕いて多少誇張して語れば,10人中8人くらいが「面白いね」あるいは「変だね」と一定の理解の下に笑ってくれるくらいのこと)を,僕の中で自然に行えるくらいが,僕にとっての清々しさではないかと思う.そのくらいの鋭さに,僕は自信をもつ. それでも自分の今いるフィールドがあまり広くないのではないか,と心配するのは,つまり最初に述べたような研究者像の下に,建築学者ではない芸術学に属する身分としての自分が,近代日本建築思想しか語れないのはまずいのではないか,という一種の焦りに基づいている.その焦りが問題だ.研究者は自分の持ちネタの豊富さ,内包しているアーカイヴの豊饒さで勝負するものなのだろうか.違うかもしれないのではないか.アーカイヴとしての研究者像ではなくて,むしろ必要なのは自分にとって未知の分野に分け入り,誰もが歩いていないフィールドを見つけ,そこを突き進むというエンジンとしての研究者像ではないのか.
by d_ama
| 2007-01-19 00:00
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