人気ブログランキング | 話題のタグを見る
2006年 04月 05日
ディズニーランドは夢と魔法の国か
年甲斐もなく,ディズニーランドに行くことがあります.先日は映画《かもめ食堂》を見に,1時間並ばねばならないシネスイッチ銀座をパスして,イクスピアリを初体験しました.その時にディズニーショップに貼ってあった何かの物語と,ディズニーシーにあるシアター風なアトラクションとの共通点からお話しましょう.
ディテールはわかりません.キャラクター名もほとんど覚えていません.しかし前者は森の中の妖精集団の中で,一人だけなんの専門分野もない子が居辛くなって妖精の国を抜け出し,様々に冒険をするが,結局自分は自分だということで妖精の国に戻ってくる話.後者は,海の中にいた人魚か何かが,魚ばかりの水中の世界に飽き飽きして人間になろうとするが,そのために魔法をかけてもらう魔女(との取引)が怖くて,結局元の水中の世界に戻る話.

ここに疑問が生じるのです.ディズニーリゾート全般が,あるいはディズニー社がふりまくイメージ全般が,もし「夢と魔法の国」であるならば,夢と魔法による変身願望,ないし自己の向上を何らかの形で成功物語として呈示する必要があるのではないか.
なんでこの妖精なり人魚なりは,結局家に帰ってくることで満足するのか.自己の向上に対して移住という形の印,区切りを刻み込むことで次に進もうとしないのか.
また,結局周囲の環境に対する不満は自己の意識の向上という形で埋め合わされ,状況を好転させる・変革するという選択肢は否定され,現状維持が好まれるこのストーリに,なにか政治的含意はないのか,と.
まるで,旅行の後に「やっぱり家が一番」といっているようなものです.

今のところ,ディズニー映画をほとんど(もしかしたら「まったく」)見たことのない僕にとって,上記の疑問はまだ萌芽的でしかありません.もちろんディズニー社のことですから,冒頭に書いた二例が単なる偶然とはいえないでしょうが.「やっぱり家が一番」のぬるま湯的な結末(しばしば,自然保護のメッセージがここに重ねられる訳ですが)と「夢と魔法」という言葉を重ねるのって,どういうことなのか,と考えながら,いつかディズニー映画を(強制的に)見せられることがあるのでしょう.

by d_ama | 2006-04-05 02:17 | cities/architecture

<< 「詰め込み教育」って何?      執筆記事のお知らせ >>