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2005年 12月 04日
「ニュー」ス?
うちにTVがないことは何度か書いていると思いますが,その理由の第一は,「あると2時間単位で時間が潰れていく」というものです.サッカーの中継を見始めると,そこから2時間は潰れてしまうわけです(日本でもスペインでもイングランドでもヨーロッパでもいいのですが).結果,映像を映画以外見ないので,スマトラ島沖地震の津波も「フォー!」も,字面の上でしか理解していません.まあ,それで何とかなるわけです(災害の映像だけはいつか見てみたいとは思いますが).
新聞さえ取っていません.小金井に家族と住んでいた頃から気になっていたのですが,新聞がありながら読む記事が全然ないという日がたまにありました.「天声人語」は2000年くらいから読まなくなりました(朝日新聞の方に口を滑らせて「天声人語,何であんなにつまんなくなったんですか?」と聞いてしまったことがあります.お答えは非常に簡単で「書く奴が悪い」というものでした).本当は,夕刊だけとりたいのですが,そういうとり方を認めてくれないのなら,新聞への欲望が増したときに買えばいいやと思い直しました.結局,引っ越して以来朝日新聞は買ったことはありません.マリノス優勝のときにエル・ゴラッソ(サッカー専門紙)を1度買ったのと,引っ越してから2,3ヶ月くらいのときに「ヘラルド朝日」の見本紙をとっていたくらいです.日本近代をテーマとした修論を書いていたので英語を読まないことに危機感を持って,英文紙をとってみたのですが,英語の流し読みができないので読むのにやたら時間がかかるのと,博士入学後英語を読む機会が定期的にできたことで,結局定期購読はしていません.
結局のところ,日本のマスコミを占めがちな話題全般に関心がない,という言い方もできますし,個別の事件の痛ましさ,個別の政治現象に対する憤りなどで感情を増幅させるのに疲れた,ということもいえますし,個々の事件を深く理解するならまだしも,浅い記事の垂れ流しという状況に飽きた,という言い方もできるかも知れません.知りたくなるほどの事件なら何か書籍が出るだろうと期待しているのもありますし,それだけ知ることへの欲望の大小差に忠実な生活をし始めたのかも知れません.知りたくないことに目をつぶるのがよくない,という新聞購読を習慣としている方からのお叱り?も予測できますが,では「知りたくないこと」を知ることを日本のマスコミに頼っていていいのか,とも反問できます(といってどこか別の国のメディアに頼るつもりもないのですけど).幸か不幸か,学術書と違って(笑),報道関係の本ってひどく安いのです.またライヴドアがフジテレビを,楽天がTBSを買い損ねた過程をタイムリーに追うより,後からまとめて聞いた方が,話が見えやすいという気もしますし,そんなことよりも吉田茂なり田中角栄なり戦後日本社会を規定してしまった人物について読んだ方が,見通しがよくなるかも知れません.あとは,新聞もテレビもなくても,表面を右から左へ流れていくだけのニュース程度なら,Yahoo!の右側にある数行の見出しでも十分なのかもしれません(2,3秒で読めます.結局クリックして中身を読んでしまうので,日に15分位読んでしまいますが,ニュースソースそのものにアクセスできるのもウェブの利点です).
最近は,月2回発行だという(まだ2号が出たばかりですが)Courrier Japonというニュース雑誌を読んでいます.刊行ペースと記事内容とが噛み合っている感じで,各国メディアのちゃんぽんなので,しばらく読み続けるかも知れません.今までもたまにNewsweekや経済誌(WEDGEにせよ東洋経済にせよ日経ビジネスにせよ記事個々に何かの意図を感じてしまいがちですが)を買っていましたが,これからもこんなペースで「社会のニュース」に付かず離れずやっていくのでしょう.
……というエントリーを今日になって書いているのは,Courrier...を読んでいて,日本の天皇制の話題が現代にあってそんなに重大だとも,重大であるべきだとも思えなかったからです.近代天皇制は日本の「伝統」とは関係ないし,そもそも「伝統」を無条件に重んじるべきだとも思わないのです.実は,建築保存にも僕は今のところそんなに関心がありません.街並みの保存にはまだ関心があるのですが,特定の建築物単体を護ろうという運動に,なかなか主体的に関与したい欲望が生まれてこないのです.日本の近代建築史への注目が近年増加している理由の一つが,近代建築遺産の保存であることは認識しています.森ビルの狙いもずいぶん乱暴だなあ,と思うこともあります(港区マンハッタン化を実現する法的枠組が,ル・コルビュジエの都市計画への発想をほぼ踏襲していることに,森ビルは気付いているのでしょうか.その枠組みにいる限り,高層ビルは建っても,その地区はマンハッタンにはなりえないのです.もっとも開発し続けない限り,森ビル自体が潰れてしまうのでしょう).けれど……僕の関心は,作品そのものよりそれを生みだす過程にかかわる理論的諸要因なのでしょう.個々の建築物を巡る政治的な綱引き?取引?よりも,保存か解体かの議論を生みだすベースや,その議論を形作る枠組みということです.身勝手ついでにいうならば,文書記録が残っていれば研究はできるなあ,とも僕の中の誰かは思ってます.

by d_ama | 2005-12-04 10:18 | miscellaneous

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