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2007年 12月 31日
幕の下ろし方
ストーリがもう少し進行しそうだし,音楽もそのままなのに,エンドロールがかぶさってきた.長い長いエンド・ロールの間には,一度以上音楽が代わることもあるだろう.最後に,ほんのちょっと「オチ」みたいなストーリが付け加わることもあるし,眠くなっていくときのように,視界がフェイド・アウトしていくこともある.
一方,あるイヴェントを迎えた瞬間に視界が暗転し,後からエンドロールがかぶさってくることもある.そこから先のストーリは,観る側の想像力に任されている.描くべきストーリは大概終わったのだからご勝手に,という潔さと冷淡さもほの見える.カット・アウトの場合,BGMはフェイド・インする場合が多いようだ.
2007年が終わる.あらゆるものが延長戦に持ち込まれ,やっと形になったものもあれば,形がなくなってしまったもの,まだ形にならないものもある.おそらく,カット・アウトよりも,フェイド・アウトの方がお似合いの1年なのだろう.2008年も,2007年の延長上に,地味な持続の下で,開始するはず.今年度限りのものもある.精々,美しい花火を打ち上げておきたい.
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by d_ama | 2007-12-31 22:58 | miscellaneous
2007年 12月 24日
講義要綱とシラバス
結局今求められているのは,コースが始まるときに学生に配布する,講義計画や講師連絡先などを詳細に記したsyllabusではなく,どんなコースなのかを示す講義要綱であるはずだ.日本の大学は──ということは多分文部科学省は──前者を講義の始めのガイダンス書類とか何とか,名前を奪っておいて,後者をシラバスと呼ぶ.後者こそ大学本部がチェックできる書類,ということは文部科学省に提出できる書類であるからで,それを通じて,文部科学省が各講義をチェックできる体制であるということでもある.だったら,一般に公開しちゃってもいいし,そうした方が官僚の一元的支配を免れる力も社会に生まれるはずである.
ということで,今のところの案:
美学特殊講義ⅢB(後期,渋谷キャンパス月曜3限=12:40-14:10)
「建築学の歴史」

建築「学」という枠組みの歴史をたどります.建築物,建築家,建築技術などについては,必要に応じて解説していきますので,前もっての知識は必要としません.芸術ジャンルとして認知されにくい「建築」分野の成り立ちを人文学から考えることは,「芸術」概念のある境界を,制度とそれを裏付けていた理論を通じて検討することになります.日本国内での講義ですので,コース終了時に,西洋語の「architecture」と日本語の「建築」との比較,日本における「芸術」概念の特徴などにまで踏み込んで考察できることを当面の目標としますが,それ以外の目標を学生が個々に発見すれば積極的に認めます.
講義各回に提出してもらう質問カードに対する定量的評価(出席率のこと.2割)と定性的評価(質問の鋭さや質問に示された学生の認識・理解度.4割),またコース終了時に課すレポートに対する定性的評価(設定する問いの的確さ,それに対する答えの有効性,その過程での論理性を重視.4割)の合計が成績です.6割を超えたら合格.

教科書:
特になし.

参考文献:
言葉と建築──語彙体系としてのモダニズム,エイドリアン・フォーティー著,坂牛卓+邉見浩久監訳,鹿島出版会,2006年.
思想としての日本近代建築,八束はじめ著,岩波書店,2005年.
現代建築史,ケネス・フランプトン著,中村敏男訳,青土社,2003年.★
テクトニック・カルチャー──19-20世紀建築の構法の詩学,ケネス・フランプトン著,松畑強,山本想太郎訳,TOTO出版,2002年.★どっちにしようか?
「建築外」の思考──今和次郎論,黒石いずみ著,ドメス出版,2000年.
その他講義中で必要に応じ挙げます.

講義計画:
9/22 イントロダクション:建築は芸術か
9/29,10/6 古典古代とルネサンス(10/1履修登録〆切り)
10/20,27 ゴシック的なるもの(27日休講の可能性あり,その場合順次繰り下げ)
11/10,17 様式と西洋建築史
11/24,12/1 日本の建築(史)学受容(11/24は休日だが開講予定)
12/8,12/15 人文学と工学のあいだ
12/22(予備日1/19) 最終ディスカッション
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by d_ama | 2007-12-24 12:14 | institutions
2007年 12月 23日
シラバスをつくる
レジス・ドゥブレほか『思想としての〈共和国〉—日本のデモクラシーのために』(みすず書房2006)を思い出しながら,シラバスを作ってみる.
共和国は学校が好きだ。デモクラシーは学校を恐れる。しかし、両者がいちばん愛しまた恐れるもの、それは依然として学校における哲学教育である。ある国が共和国なのかデモクラシーなのかを区別するもっとも確かな方法は、哲学が高等学校で、すなわち大学入学以前に教えられているかどうかを調べることである。
共和国の学校は知性豊かな失業者を生み出すと言われ、デモクラシーの学校は競争力のある馬鹿者を育成している。(ウェブ上の異なる2つの場所からの引用)
〈共和国/デモクラシー〉という対立軸は〈フランスの理念/アメリカと全世界の現状〉,移民に対する態度としての〈同化/寛容〉,優秀な者が〈官僚になる/事業に奔る〉,市民が〈理性と議論の動物である/生産力の動物である〉……などと重ねられる.あまりに鮮やかに描かれているから本当かよと思うが,一方ですごく納得させられてしまう.
もともと僕が属している分野は,あまり生産とは関係ない(建築生産に直接関係するわけではない).その一方で,positiveな=実定的な,形になっている論文生産を求められる場面が,学年が上がるたびに増えてきた.そして大学教育も「優秀な」=おそらくは就職できる)学生の(底上げ的な)生産であり,運が良ければ(たとえば僕が教えることになる大学でのように)その間に研究者になれるしなりたいと思っているような学生にも出会える,というような状況だろう.上記著書において「理性と議論」と「生産力」は対置されているけど,それはおそらく互いに排他的なものではない.理性を伴った生産力は,生産だけに追いまくられないことにかかっているはずだ.
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by d_ama | 2007-12-23 13:55 | institutions
2007年 12月 23日
シラバスの話
「平成20年度[…]より大学設置基準改正に伴い,学生に対して成績評価基準をシラバスに明確に提示することが義務となりました」らしいですよ.
①講義のテーマ ②講義の目的・内容 ③成績評価の方法・基準 ④教科書 ⑤参考文献 ⑥講義計画 の項目がシラバスにあるそうだ.
成績評価の方法・基準に関しては,「A:方法(期間内試験/授業時試験/小テスト;単位リポート/リポート/課題リポート),B:評価方法の割合(平常点の場合,出席状況,授業参加,小テストなど具体的に書くこと),C:合格基準,D:備考」があるそうな(括弧内は天内による整理).
基本的に,教員の基準ではなく学生の認識枠に合わせて授業を行い成績をつけるように指示されている点が,特徴的.おそらく,僕がこれから教えることになる大学だけではなく,一般的な現象なのだろう.でも今日聞いたお話では,その大学はかなりよい環境であるとのこと.今勤務していらっしゃる大学で学級崩壊との戦いに勝った,通路にしゃがむなんて別に普通,とその方や周りの方がおっしゃった.

「開講時に説明する。」が並んだシラバスが,懐かしい.それでよかった時代が,あった.
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by d_ama | 2007-12-23 03:31 | institutions
2007年 12月 15日
年号と元号
そういえば,国学院大学に出す書類の記入例が元号になっていて,神道系の大学だからなあ,と自分も普段使わない元号を記入していたことを思い出した.僕が元号を使うためには,西暦からいちいち元号に換算しないといけない.えーと,学部を卒業したのは22歳だから2002年で,ということは1988を引くと平成14年のことなのか,といった感じ.横書きだからカンマピリオドだろう,とか元号なんて知らねぇ,とかの普段自分の中で決めてきたルールは,紀要に出すから,とか履歴書を出すから,などの社会的なフェイズを持った瞬間に脆くも瓦解する.そのうち,僕の外来語表記も変わることもあるのかも知れない(コンピュータとかスーパマーケットとか).
僕はある時期に,元号という存在を完全に頭の中から切り捨てた.人一人が死ぬたびにゼロにリセットされてしまうのは,普段から将来にわたって使い続けるには信頼に足らないからだ.多分,僕がまともに生き続けていればその間に少なくともあと1回,もしかしたらあと2回リセットが起こるだろう(天皇が世代を「飛び級」することはないよな?).あれだけ組織の永続性を求めている官僚たちがいまだに元号を使い続け,提出書類にもいちいち使わされているのは,その点では不思議だ.イデオロギー的にはまあそうなんだろうな,と判るけど(「解る」と「判る」と「わかる」の使い分けも僕独自のルールだ).
元号というシステム自体は,中国から輸入されそれを模倣したものに過ぎない.もっとも,同一の天皇の治世に何度も元号を変えていた近世以前の風習は,もしかしたら中国からのアイデアではなく日本版のアレンジなのかも知れない(調べていないが).元号が日本の「伝統」だ,などとは研究者ならばきっと誰もストレイトには信じないが,いずれにせよ僕はゼロ年リセットという予測外のイヴェントを避けるため,極力西暦を使ってきたし,これからも可能な限り,役所の書類に元号で丸をつけるところを全部線で消して,平気な顔で西暦を書くだろう.訂正するのは役人の仕事だ.東大人文社会系研究科の修了証書では,西暦と元号の表記が選べる,と知ったときは凄いと思った.確か文学部の卒業証書もそうじゃなかったかな.
西暦の「ゼロ年」がイエス・キリストの誕生という西洋の伝統に関わっている点は,個人の信仰はともかく,あらゆる宗教団体がどうせ適度に嘘っぱちという僕の見解からすれば,もはや何教でもいいわけだ.夢枕獏『シナン』ではないが,唯一神に関しては神の名前が違うだけだし,ギリシアや日本のような多神教は神々が織りなすストーリが面白いだけで,信仰の対象となるのはアニミズムに立ち返ったときではないだろうか.また西暦ゼロ年がキリストの実際の誕生年とずれているのでは,という点も,虚構でも何でもいいから原点を1個に限定してくれ,という僕の考えからすれば障害にはならない.その点では,元号よりも皇紀のほうがまだましなくらいだ(どうせ原点の設定は恣意的で,虚構性を免れないのだ).今年は皇紀……2667年か.2+6/6+7=10.
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by d_ama | 2007-12-15 12:12 | miscellaneous
2007年 12月 14日
ついに
今月は割と休みなく働いているのですが(冬こそ自分の季節! と「男モードに入る」のです.いや僕男ですけど……),ついにジンマシン発生です.セーブモード,入ります.
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by d_ama | 2007-12-14 02:24 | miscellaneous
2007年 12月 11日
皇居美術館・空想
【第1回リスボン建築トリエンナーレ帰国展 記念シンポジウム】

 今年の5月31日から7月31日まで、第一回リスボン建築トリエンナーレ2007がポルトガルで開催されました。日本は、会場の最初を飾るカントリー・エキシビジョンに参加し、東京に焦点をあてた4つの展示プログラムを構成。今回、帰国展を11月22日から11月27日にかかけて新宿OZONEにて開催。それに合わせて、3日連続の記念シンポジウムを行います。テーマは「国際展」、「写真」、「皇居(都市)」の3つ。展覧会への出展者を中心にして、外部からゲストを招き、今回の展示にとどまることにない議論を生み出します。

■ 会場 : リビングデザインセンターOZONE 8F セミナールーム  
【国際展 × 東京】 11月23日(祝・金) 15:00 - 18:00
【写真 × 東京】 11月24日(土) 13:00 - 18:00
【皇居 × 東京】 11月25日(日) 16:00 - 19:00

 ゲストに政治学者の御厨貴(東大教授)、原武史(『皇居前広場』著者、近代天皇史研究)、そして鈴木邦男(政治活動家)の3人を迎えて、東京の中に《巨大美術館》を出現させるという空想について議論する。今、東京という「都市」とは、日本をどこへ連れて行こうとしていうるのだろうか。「『TOKYO REVOLUTION』アーバン・ヴォイドを刺激し、東京を変革せよ」というメインテーマの中で出展された作品「超一流日本美術を結集させた巨大美術館構想」を議論の遡上にのせて、東京と日本の未来を、歴史と空想の土俵で考える。

   ■報告者
   ・南泰裕(建築家、国士舘大学准教授): 東京の中心性と多数性をめぐって
   ・新堀学(建築家、NPO地域再創生副理事): 場所への構想 / Voidという「選択」
   ・彦坂尚嘉(美術家、美術史批評家):《巨大美術館》の意味と《平成大仏》の建立

   ■ゲスト
   ・御厨貴(政治学者、東京大学先端科学技術研究センター教授)
   ・鈴木邦男(政治活動家)
   ・原武史(政治学者、明治学院大学国際学部教授)

   ■司会
   ・五十嵐太郎(建築史家、建築評論家、東北大学准教授)



凄いメンツを揃えたが,各人の発言は図らずも調和がとれてしまい,あまり喧々諤々の議論にはならず,皇室は京都に帰る,という点に誰も異議を差し挟まなかった(学習院にとっては学校法人の存続をめぐる大問題のはずなのだが).
リスボン・建築トリエンナーレでの展示についての報告に対し,御厨氏は京都生まれの明治天皇と,東京生まれの昭和天皇の東京に対する態度を対照させた.明治天皇は遷都後も京都への望郷というオブセッションを終生抱え続けた一方,東京生まれの昭和天皇は摂政期を併せると東京の壊滅を2度も経験し(震災と戦災),滅多に人名を取り上げて発言しなかった彼が後藤新平やビアードらの名を挙げることで震災後の新東京への期待を示し,自ら行幸に打って出たことで戦災後の東京を中心とする国家・国民の慰撫に努めたらしい.90年代の首都「機能」移転の議論では,文字通りの首都移転となる皇居移転も(発表されなかったが)考慮されたという.
鈴木氏の議論,というよりパフォーマンスは,江戸時代への徹底した回帰を求める内容で,皇室外交は牛車+和食で,国会議員はもはやテレビタレントで構わない,いっそ徳川氏に大政奉還を,などなど.
原氏はそもそも皇室と天皇の姿が1967年を境にマスメディアを通じ伝わらなくなった点,そのために戦後すぐに天皇や皇室をめぐるオープンな議論の素地があったはずが,誰も天皇や皇室を語らなくなった点,ついでに鉄道博物館の御料車展示への批判も含めた(先週末だかの朝日新聞に掲載された内容).皇室をめぐる話題がマスコミにとって自己規制の対象となり,当たり障りのない議論に終始してきたのがこの40年間だということだろう.結局,女系天皇論も不発に終わったわけだ(「聖域」なき構造改革の対象としてうってつけだったのだろうが).

皇居美術館空想は,東京の中心にある広大な空虚に日本各地の建築・美術の名品を収集することで,世界的なミュージアム・シティとして東京をプロモートするというもの.その際,憲法もどうせ改定するなら「芸術憲法」にして,天皇を京都に戻して古き伝統文化という圧倒的な保守の象徴とすることで,啓蒙主義・進歩主義的な近代日本の終わりを告げるというまさに「象徴的」な操作を通じて,共同体の再生を通じた引きこもり・自殺者の抑制を図るというプラン.
なぜ東京のもと江戸城に,関西中心の「日本文化」の殿堂を作らねばならないのか,という疑問はある.東京のプロモートは他のやり方でもできるわけだ.「日本」をどうにかせねばならない,という先鋭的な問題意識はとても真摯なもので,その対策にいわば使われざる資源=天皇制を利用するのは正攻法とすらいえる.しかし,そこにミュージアムという制度的存在が必然的に動員されるということに,ミュージアムなるもののある性質が見えるし,「日本」という枠組みでしか何かしたことにならないのか,という疑問も生じる.──少し時間が経ちすぎて,あまりうまく言えていないが.
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by d_ama | 2007-12-11 23:22 | events / art
2007年 12月 05日
すがすがしい夜
水中を描いていたのが,空気中を描くようになり,日常の都市風景のどこかに水面があって,顔をそこから出して呼吸する,という想像が働く.日常の不安が,都市空間への軍艦と水面による侵食,戦闘機=魚の飛行,ミサイル発射や水爆実験の散在によって蠢く.
その空間はまさに3次元的な「空間」としてとらえられていて,雲がその手前に平面的な壁紙の模様のようにして介入したり,空間の中に入れ子のようにして介在したりすることで,その次元はずらされながら重ねられる.そもそも,日常の空間の中に水中にいる首から下だけの人体(首から上は水面から出ている)が配置されているのも,空間の歪みに違いない.平面的な,日本の絵巻物のような雲は,画面の上にはみ出る.
画面の上から降りてくる何ものかが登場して,装飾的な紋様で暗示される.そこに戦闘機=魚が寄ってくる.日本もパナマも排気ガスの量を除けば違わないという,青空の下の日常の都市風景の各所に,そんな仕掛けが潜んでいるという画面.

出会いは,僕のHPに放置してあった雑文の中に出てきた,ある画家兼理論家の名を彼が検索で引っかけたことにあった.絵画を制作しながら論文を執筆するという,美術制作を大学制度の中に位置付けるという,乱暴にいえば「無茶」ゆえの「しわ寄せ」が彼を襲い,制作と論文執筆という二重の孤独が彼を捕らえていた中で,同じようなことを考え同じ名に注目している人物が,たまたま同時代の同じ東京圏にいたという発見だった,かも知れない.
こちらとしては何の気もなしに投げ込んでおいた文章だが,誰かに,ほんの少しだけ,役に立てたのなら,もうOK.そろそろ消去してもいいんじゃないのか,という気にすらなる.しかしその同じ関心を導いてくれた文章の書き手は,来春僕の上司になる.だいぶ以前の,理論的にほとんど突き詰めていない制作学への関心のことなど一切話したことはないのだが,無意識にか,神の見えざる手(誤用)によってか,出会ってしまう.
彼はその後研究は中断し,結婚なさってパナマに移住した.制作した絵画をどう日本に運んでくるのかという悩みもありながら,スペイン語の日常から,ほんの一時だけ日本語の街に帰っていらして開いた個展.顔を出して,現実にお会いしお話することができてよかった.

高桑康二郎展「カナタへ。そして、Believing is seeing.」
場所:ギャラリーMoMo 港区六本木6−2−6 サンビル第3 2階←麻布警察署の真裏です.
期日:12月4日から12月22日
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by d_ama | 2007-12-05 14:56 | events / art
2007年 12月 04日
作業と時間感覚
多少気恥ずかしくなる文章を書いた.自分の顔をはじめて550人の前にさらけ出す,というのは,相手の顔が全て見えるわけではないだけに(読者だと判っているのは10人程度だろうか),怖々と,しかしできるだけ率直に,文章を書いていく作業.全くアカデミックではないが,刺激にはなる.木曜日配信予定.つまりNPOのメルマガのことだ.僕のこの2,3年間のある割合は,この作業に捧げられていたことを改めて思い出す.割と盲目的に,出会った事柄に反応しながらメルマガを作ってきたつもりだが,そこに文脈を初めて与えたのはなかなか新鮮だ.

ますます,時間がアプリオリに合目的的な使い道に振り分けられ,当面あてはない,という作業のための時間の使い方が,だんだんできなくなっていく.テーマありき文脈ありきの,説明責任があって期限が定められた仕事と,テーマがどう転ぶか判らず,先に見えるゴールなど到底設定しえず,もはや仕事といえるか判らないようなあてのなさで感触を積み重ねていく仕事.多分研究の醍醐味は後者にある.競争的資金の獲得は,僕のキャパシティにとってはまだ前者.僕がその実力を持っているとは思えないが,この書類で獲れなかったらずっと獲れないだろう,と思って書いた応募書類だった.
競争的資金を獲得しながら(あるいはそのために),多忙の大学事務をこなし,しかもその合間にきちんと研究が続いている研究者が間近にいることは,この上ないラッキーだ.そのキャパシティの正体は……と先生を直接分析したわけではないが,ヒントを与えてくれそうな本ならそこら中に転がっている.アカデミックとは到底思えないが,手に取ってパラパラめくってみる.この作業自体は,前者に近いかも.

今日はこれから六本木と外苑前辺り.比較的当てどのない,ほぼお散歩.
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by d_ama | 2007-12-04 13:37 | miscellaneous
2007年 12月 02日
鬼よ哄笑したまえ
咳はまだ出ているが,熱が下がったのでとりあえず復活.

ベッド上で,来年秋からの授業を構想,というか妄想した.何を教えるのか以前に,どう教えるのか(ex.塾みたいに「教え込む」のか,相手の興味を引き出すには?など)が問題.文学部哲学科という看板の下に集うタイプの私立大学学部生というのがあまりイメージできない(東大の,哲学専修と切り離された上での,美学専修であればイメージできるのだが……カントの三批判書に対応させた帝国大学の哲学/倫理学/美学という分け方が,今に至るまで制度的に限定を与え続けているわけだ).

とりあえず,手近なところで元国立N大学助教授・森博嗣氏の『大学の話をしましょうか』,哲学科出身の作家・諏訪哲史氏による『アサッテの人』(面白かったけど……ま,これは講義とは関係ないか)を読み,サイト「名古屋大学版ティーチングティップス」を見てみる.戸田山和久氏の文章だろうと思うが,親しみやすいし楽しいのだけどちょっと長いかも……と思ったのは『論理学をつくる』でも感じたこと.

理論に対する歴史的な負荷ないし限定を相対化するしかたを全面的に展開するならば,僕の研究の話をするのが適切かも知れないが,前提となる知識は教え込む必要があるのかどうか(マイナー,という自己認識ゆえの問い?).仮想的に論敵を作ってみて対決するという方法もあるかも知れない(たとえば『神殿か獄舎か』や『思想としての日本近代建築』).ただ,負けが濃厚な戦いをリング上で(教壇上で)展開するほどの度量をいきなり展開するのも,若手非常勤講師が初めてやる講義じゃないよなあ…….
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by d_ama | 2007-12-02 17:03 | books / studies