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2012年 03月 31日
夢の話
セルフビルドの「マイコン」時代とかレゴで組み立てる電子回路とかの話をしていたのは,たぶん仕事の打ち合わせだったんだと思う.曇り空の大きな通り(靖国通りか江戸通り,首都高が終わった後の昭和通りみたいな雰囲気)沿いのウッドフロアの喫茶店で,壁際の席に荷物を置いて,8人くらい掛けられる中央の大テーブルの片隅で4人くらいで相談していた.ふと気付くと16時.さっき15時半だったから気をつけよう,とか思っていたのに…….16時には次の仕事が待っていて,急がねばならない.相談を切り上げ,雨が降ってきたが,タクシーを拾って急行する.
着いたところは西日暮里の駅前.すでにみんな棒倒しの準備を終えて,駅からグラウンドに向けて道灌山をのぼって走れば,そのまま相手陣内に攻め込んで試合が始まるというところなのに,着替えてもいない僕がのこのこと現れた.雨降りの駅出入口で,団長に土下座して謝り,「前の仕事が……」という言い訳を呑み込んだ.間に合うか分からないけどとにかく準備するために,東急東横店の伊東屋が入る以前の銀座線改札前みたいな商業スペースを通りながら,校舎へ向かう.その途中,「成り行きで引き受けた期待に全然応えられていない」自分の現状を反省する.攻撃側のトップだったからね.
商業スペースとドア1枚で繋がっている校舎(あれは多分小学校の校舎だな)に入る.自分の教室に入ると,2割くらいまだ自分のクラスの人が残っていて,残り8割は知らない人達で,下の学年なのかな,観客が入り込んでいるのかな,などと思う.教室に入ったときはなぜかすでに上半身は脱ぎ終わっていて,あとはテーピングを足に巻くだけ.手近なやつをつかんで巻こうとするが,足に巻いたそばからテーピングがサランラップに変化していって,使い物にならない.いっそラップ巻いたままでやろうかとも思うが,そんなんではまともに跳べないだろう.さてどうしよう,というところで起きた.
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by d_ama | 2012-03-31 11:28 | miscellaneous
2010年 06月 12日
ところで……
これくらいは,書いていいのではないかと思います.うーん,あまり考えてないのがバレバレですが.

A: FRA URU- FRA v KOR ->FRA
B: ARG KOR- ARG v URU ->ARG
C: ENG USA- ENG v AUS ->ENG
D: GER AUS- GER v USA ->USA
E: NED CMR- NED v どこか ->NED
F: ITA どこか- ITA v CMR ->ITA
G: BRA POR- BRA v SUI ->BRA
H: ESP SUI- ESP v POR ->ESP

> FRA v ENG > ENG
> ARG v USA > USA
> NED v BRA > BRA
> ITA v ESP > ESP

1st ENG 2nd ESP 3rd BRA 4th USA
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by d_ama | 2010-06-12 02:32 | miscellaneous
2009年 11月 21日
彼岸で建築は可能か
山田幸司が、死んだ(らしい)。
山田幸司先生がお亡くなりになりました、なんて言いたくない。その事実をそもそも認めたくないし、お仕着せの追悼の言葉に収まらないような破れかぶれな人格だ。博論を書き上げたら、名古屋に押し掛けてでも飲みたかった。そのときは割り勘になっただろうか、おごってもらえただろうか。僕はおとなしすぎただろうか。
夕方頃、初めて伊東に移った新しい実家に妻を連れて、数少ない(リアルにそうなった)家族と飲んでいた。虫が一匹、僕だけにまとわりついて、そのままいなくなった。虫の知らせなんて要らない。お互いに建築だけど役割が違うから、住み分けておいて、風の便りか人の噂か(同じか)でお互いに仕事を認知してるけど、会ったらさんざん飲みながら、語り合うというか主に僕が突っ込まれる、というのがベストだった。僕らを置いて勝手に死ぬなんて、ひどいや。しらふで投入堂に連れていきたかった。明らかにあのとき二日酔いだったからね。
国学院の宮下先生だって破れかぶれな人だった。僕と合コンしようぜといいながら逝ってしまった。宮下先生なら、本を読んで彼の後を、方法論的には無理だけど(美術史だし博覧強記タイプだし)意思の上で追いかけることは、まだしも可能だ。住み分けちゃった人の後をどうやって引き継げるというんだ。僕にあなたのトークは無理だし、あんなに意図的に時代からずらした設計も思い付かないし(そもそも線引けないのは別として)!
一生懸命論文書くしか、僕には埋め合わせが思い付かない。お通夜は行くけど、告別式はぶちって国学院でちゃんと授業します。さんざんしてきた借りどうやって返すんだよ。授業や論文以外思い付かないじゃないか。

【追記】
ポール・ヴァレリー『ユーパリノス』では,物質なき精神だけの世界に住む二人が記憶を辿りながら,建築というマテリアル主導の術について語り合っている.冥界建築系ラジオは,冥界の建築を語るのか,冥界から建築を語るのか.建築の彼岸ではなく,彼岸の建築は可能なのだろうか.
向こうでも,楽しくやっていてほしいです.残された僕らにだって,残された時間はそんなにはない.
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by d_ama | 2009-11-21 01:53 | miscellaneous
2009年 11月 05日
そういえばどうするの
在住外国人に参政権を与える話が最近出ているらしい.民主党が党としてちゃんと話し合っているとは思わないから,なかなか時間はかかりそうだとは思う.しかし地方自治体に関して言えば税の使い道を決められない人間が税を払う必然性はないのだから(子供は使い道を決められるように教育する義務が大人にあるので,税を払っても参政権は免除されても仕方ない),外国人に限り税を免除するか,きちんと参政権を付与するかすればよいと思う.さすがに,自治体の首長や国会議員となると被選挙権を認める必要はないと思うが,自治体の議員程度ならよいのでは? そこら辺の線引きは誰か考えているでしょう.
日本にいるのは日本人だけで,外国人を入れると治安が乱れると信じている人があまりに多いのだろう.その信念を壊す在日の存在に神経質な人も多いようだが,たぶん死刑廃止と一緒で心情的な反対に過ぎないだろう.移民政策はヨーロッパを見てもどこでも頭を痛めているが,新しい移民がまだその土地に根付いていないときにはいろいろ辛抱も必要だ(各国は必要があって移民を受け入れているのだし,日本にもその必要があるのは明らかだ).ほとんどの人が気にしている「在日」はとっくに日本に根付いているのだし,殊更区別する必要はないだろう.問題は新移民を受け入れたときにどう馴染ませるかだけで,それこそが最大の治安対策だ.
法的な位置づけや歴史的経緯はある程度知っているつもりだが,僕に言わせれば1対1で接する限り在日コリアンですというのと,青森生まれですというのとはほとんど変わらない.言葉だって在日コリアンの日本語より,津軽弁や関西弁の方がわからないでしょ? たとえば山梨生まれですという,申し訳ないけど少しキャラ設定が解りにくい言い方に比べれば,青森も在日もキャラが立っている感じはするけれど.慌てて弁解するなら,キャラなんておおよそ偏見の塊であり,日常の人間関係やそれこそ「キャラ設定」程度なら目くじらを立てるほどのことではないと思う.お笑いと関係ない関西人の呟きにも似るかも.僕自身,東京生まれ東京育ちだけど北海道や青森の話をしていると,いつの間にか青森生まれと思われていたりする.ま,微妙な東京西郊で都会っ子とも言いがたいからだけど.多摩っ子みたいに山の話ができるわけでもないし.

ここら辺まではきっともう誰かが書いているだろう.

僕が久しぶりにブログを書こうと思ったのは,北方領土のことをふと思い出したからだった.もう戦後60年経って,日本で北方領土と呼ばれている4島(日本では歯舞群島を1島扱いで呼び習わしてしまったのだが)に生まれ育った,あるいは島内で亡くなったロシア人がたくさんいるはずだ.北方領土が日本の実効的な支配下に置き直されたとき,日本は島内でこれまで生活を築いてきたロシア人をどうするつもりだろう? それが気になる.領土を返してもらえばそれで終わり,じゃないはずなのだが.
まさか追い出すつもりではないよな? もし返還されたら,これだけ大規模に(択捉だけで西日本の1県くらい広いからね)領土が変わる近年の例が他にないので,どうなるのか想像しにくいが,満州や朝鮮の引き揚げであれだけ苦難を味わった日本国民がロシア人に引き揚げを強制するのは,不名誉ではないだろうか(意外にナショナリストっぽいことを書いてみた).
それとも古くからコミュニティを形成してきた在日中国人やコリアン同様に,あるいは新たにコミュニティを形成しかけて,不況で衰退しかけている在日ブラジル人・ペルー人のように,日本国籍取得のためのよく判らないハードルを立てておいて,自然にロシア領に戻る,というよりもたまたまそのときもロシア領であり続けた新たな土地へロシア人島民が離散するのを待つ政策でも採るのだろうか(すごくありそう).
北方領土が返還されたら,ついに日本もしっかりと多民族社会であることを意識できるかと思ったのだけど,ロシア人島民も17000人なら,アイヌ人よりも少ないか…….日本人との子孫があまりいないはずなので多少インパクトがあるけれど,制度上,ひいては通念上多民族社会となる風通しのよい日本を夢想するには,インパクトが薄いかも.直近では,ダルビッシュにがんばって欲しいです.
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by d_ama | 2009-11-05 02:09 | miscellaneous
2009年 10月 08日
どうしたものか
別に結婚したからではないと思う.それよりも前から,自分が死ぬ存在だということを実感している.頭で理解したという意味ではなく,本当に僕の身体は下り坂に入っているんだなあという「実感」.身体というのは,身体能力という意味ではなく,頭脳を下支えする力とか,初めて会った人に対応する能力とか,会話に入り込んでいく能力とか,そういう「知的体力」に近いかもしれない.時々,初めての人に「どうでもいいや」と思ってしまうほどに,人への関心が落ちてしまっている.
ならば一つのことに集中すればよいものを,この数ヶ月,僕の関心はむしろ散漫になっている.ある範囲の中の事柄はみんな関心があるというような,手の付けられない状態.知りたい分野は,思っていたより広い.けれどそういう自分の意識,関心は明らかに,「身体的な」衰えに追いついていない.
基本的に,いろいろな人に借りを作って,それをいつか返してやると思って生きながらえてきた人生だ.たまに,ある人物に貸しを作って,それをいつか返してもらおうと思って,あらためて生き延びてやろうと思い直したこともあるが,そういう人物にもだいたい貸しは返されて(というか,貸しを作ったと思ったのが幻想に過ぎなかったのかもしれない),さらに貸しを作りすぎてしまった感じ.ほぼ全面的に赤字だから,とんとんにするまでは生き延びなければならないとは思う.けれどいざこの衰えに直面してみると,赤字を残して死んじゃっても仕方ないかな,と思う.あまりに返せないような焦げ付きを作らないようにする,という守りの意識が強くなってしまった.
客観的に見て,もちろん僕はまだまだ青二才だ.しかし,主観的に見れば,これ以上借金を増やす前にゲームから手を引くべきではないかと思う.いや,自ら死ぬ気はないので心配しないで.自分で自分を持て余すという事態が,この20代末期にあって初めて来たことに,自分で慄いているだけだろう.
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by d_ama | 2009-10-08 02:42 | miscellaneous
2009年 02月 22日
記憶と未来
記憶を持ち歩くことは,何とも重苦しい.過去からの延長として,記憶を基礎として現在を捉えるのは,その延長上に未来,理想,モデルがあるからだ.というより,過去とはその目標に向けて整理され編集されたものである.例えば,普通には悪い話と扱われるような記憶も含め,「いい思い出」しかあり得ない.あるいは,引きずっている「過去」とは現在に生起する現象で,過去のものとして整理できないから「引きずる」.
未来についても同様だ.予想され意図され計画され,あるいは希望される「未来」もまた現在に生起する現象でしかない.意識の上ですでに終わっているはずの現象を記憶し,その記憶に基づいて現在の行動を律しようとさえするのが「未来」ということになっている.そうではない.予想も意図もできない未来しかあり得ない.だから不安にもなるし,まだ生き続ける気にもなれる.投企といっても構わないだろう.全然楽しみではない.しかしモデリング済みの退屈な「未来」よりはよほど面白いし,それしか楽しみはない.

本棚を整理している.この本はしばらく使わないだろう,と段ボール箱に収められるのは「過去」の本である.まだ箱に収められないもの,むしろこれから使えるかもしれないと期待するものだけが,本棚に整列することになる.まだ整理できない知識や情報の山を目の前にして,分け入っていくのが論文執筆だ.形にすることが最も重要なことだから(形になれば内容はついてくるだろう),計画書でも予備論文でも何でも書かねばならない.自分の過去の僅かな蓄積を否応なく直視せざるを得ないから,という意味で「過去」を拒否しているのでもない.新たな出会いなしの,整理に終わってしまう論文を自動生成してしまうことへの恐れが先立っているのだろう.
今ここで文章を書くのに松浦寿夫「健忘症とユートピア」『風の薔薇』4号,1986.8,pp.68-74を参照しているが,たぶん読んだのは5回目くらいだ.学部時代にサークル向けに駄文を書いたときですらその文章を参照した記憶がある.99年当時ならともかく09年にもなって,僕の世代としては(あるいは著者本人にとっても),もしかしたらオールド・ファッションなのかもしれない.しかしいまだに刺激を受けて(しまって)いるという意味で,僕にとっては「過去」ではない.結局ここまで立ち戻らないと出発できないのか,と気落ちしているところ.
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by d_ama | 2009-02-22 16:13 | miscellaneous
2008年 11月 06日
がっかりだ
成田から特急電車に乗っていて,TOKYO-FMの「見えるラジオ」で「重要なニュースをお届けします」と出ていた.何かあったかなあ,と思ったら……
九州かどこか西の方のオバマ温泉と,福井のオバマ市が,オバマ大統領選出に喜びの声
……が,トップニュース.「アメリカの」大統領選に「日本の」地方のどこか観光協会か何かが喜んでいる姿がCNNで苦笑混じりに報じられているのを見たばかりなので(もちろん「日本なんてそんな感じだよねー」という印象を含めている),なんという国の,何というメディアなんだろうというのが,帰国一番の感想.こういうのを平和ぼけと言うんだろうなあ.そういえば,日本人が一切悪いことをしていない,アイヌ人にも,中国人にも,悪いことはしていないという歴史修正主義者がいますけど,オーストラリア人のアボリジニに対する態度を見ると,「悪いことしていないもんね」という態度がまさに平和ぼけなのだなあ,と思いました.
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by d_ama | 2008-11-06 04:17 | miscellaneous
2008年 09月 09日
山よ,山よ,山よー
人工物が好きだ,自然には関心がない,と公言してきた私ですが.実は大学では,登山(ハイキング?)サークルに所属しておりました.何の間違いか,責任者までやっていました.うーん,人間が住むということの最低限が山小屋とか,テント山行とか,あげくにはビバークには潜んでいる気がします──というのは後付けの理屈ですが.まあ,人間が住む限り何かしらの建築はできるわけです.
今月は(あらゆる日程上の厳しさはあるのですが)久々に入山します.えっと,立山と剱岳.長野側から入山するのかなあ,と思っていたら,入山口がすでにトンネルを抜けた先の富山県でした.あ,黒部ダムは重要な土木遺産ですね.鎖場,カニの横ばいなどなかなかチャレンジングですが,今月僕は死ぬわけにはいかないのだよ.

────
[9/11追記]
初めての富山県。立山はどうせ長野と富山の県境だろうと思っていたら、山域全体ががっつり富山だった。立山に入る室堂という登山口というか観光地に行くまでにバス、トロリーバス、ケーブルカー、ロープウェイ、もう一度トロリーバスを乗り継ぐが、最初のトロリーバスですでに県境を越えていた。富山だからといって、帰りにうなづきビールを飲んだ。うんうん。あ、宇奈月か。
立山のイメージはほとんどなかったが、信仰を集めているらしい。一番高い峰に鳥居があって、コスプレしてる人がいる、と思ったら神主さんだった。こんな奴が再来週から神道系大学の兼任講師です。
劔岳は一般登山者の入るルートとして恐らく日本一難しい。岩に張り付いて崖を登り降りします。登るときは気合いで岩の隙間に足を掛けたり鎖に頼ったり突起に指を引っかけたりします。怖いのに、ガイドブックに言及されないのは下り(登山系のガイドブックって登頂したら終わりで、下りについてはほとんど触れないんです)。上から岩にしがみつきながら足を置く場所を探しますが、引っ掛け損ねたら数百メートルの崖を真っ逆さまです(その谷底が足先の向こうに見えるんです)。久しぶりに脂汗かいたし呼吸は荒れるし、何より生まれて初めて生死の境目に身を置きました。これに比べれば鳥取県の三佛寺投入堂の一般コースなんてまったく生死に関わりませんのでご安心を。投入堂にいざ入る、となれば別の話です。
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by d_ama | 2008-09-09 01:09 | miscellaneous
2008年 08月 13日
走れレパード
2005年12月くらいに,四谷の建築事務所の地下のデスクで1台目のiBook G4にコーヒーをこぼし,慌ててApple Store, Ginzaに買いに行った2台目のiBook G4を,その後キーボードの文字が消えるまで(いや,これは僕がキーボードを叩きまくったという以上に,一部の製品に見られた欠陥なのですが)2年半以上使ってきましたが,ついにこの度皆様の税金からご協力を賜りながら,黒いMacBookに乗り換えました.はい,この社会にいつか役に立つだろう研究を続けます.
OSとしては10.3.9(Panther)から今のところ10.5.4(Leopard)にまでヴァージョンアップしており,色々と知らない機能が新しく付いていてよく驚きます.そんなグラフィックを展開しなくったって……と思うことも(dockとかね).Spotlightがとても快適です.ニュースも完全にRSS頼みになりました.入力メソッドはATOKに乗り換えました.どうしても事務上仕方なく,MS Officeを入れてしまいましたが,普段使いはJedit XとNisus Writer Proです.
液晶が,つや消しのものからツルツルしたものに変わりましたが,僕には画面が明るすぎるので,だいぶ弱めて使っています.目盛りの3,4割くらいの明るさにしていますけど,僕の目は大丈夫なんですかね?
ところで一番うれしいのは,そうしたソフトウェア上の変更ではなく,キータッチのクリック感です.白弁当箱の文字が消えるキーボードは,もう少しふにゃふにゃした感じで,文章に集中しているときはストレスレスですが,あまり文章を「書いている」気がしなかったのですが,今度のキーボードは考えながらおもむろにキーを叩いている感じがします.速度はもしかしたら下がったかもしれませんが,文章の密度が上がった感じです.えー,全部気のせいといえばそれまでなんですが.
来月の〆切りは4つに増えた(自分で勝手に増やした)ので,がんばります.
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by d_ama | 2008-08-13 18:01 | miscellaneous
2008年 07月 12日
光の下で進む
冬の太陽が好きだ.空の低い所から,網膜に飛び込んでくる姿,というよりは光,知覚の源(の1つ).事物を光と影の二極の下に切り分け,白いノートに書かれた文字を照らし,建物のエッジやテクスチャ,直射日光を避ける人のシルエットを刻む.
夏の太陽は,全てのものを炙り出し,白日の下に曝す.匿されていた,しかもそれでよかったものさえも,暴力的に.生命体をあてもなく繁茂させ,死へと加速させる.人体のエッジやテクスチャを刻み強調するどころか,溶解する,あるいはかさつかせる.

走ることを知らなかった頃と,遅れて知ってしまった頃と.外は真夏だが,冬の中にいなければならない.何かを守るためではなく,何かを手に入れるために.流線型の疾駆は,あてのない暴走のためではない.
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by d_ama | 2008-07-12 19:15 | miscellaneous