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2008年 04月 11日
結婚についての思考
最近,また自分の周りが結婚ラッシュだ.自分が参加しなかった/する予定がないものも含め,結婚式やその予定の話を再び多く聞くようになった(一時的に,その手の話を聞かない時期があったということ).そんな年齢に達したということでしかないのだろうか.むしろ,僕やその周囲は基本的に遅めというか,比較的早い結婚を目にする機会が相対的に稀なはずだ.たぶんそこらへんはブルデューやその読者辺りが書きそうなことだ.僕や友達を含め個別のことは,とりあえず棚に上げる.

友人たちが一大決心をして,過半数?は一生に一度しかない決断を,特に定量的な目標なしに,特定の他人一人だけを選択して彼/彼女と共に行っていること,しかもその決心のあり方が比較的一様であること(たとえば重婚も同性婚も異種婚もないし,年齢まである程度の枠内に収まっているし,当初から期間限定の結婚プロジェクトというのも聞いたことがないし,少なくとも僕の周りではまだ見合いや家庭の事情による望まぬ結婚や政略結婚もない),日本国籍保持者同士の結婚なら全国共通の同じ書類に一様に名前やら居所やらを埋めて,大抵は男性側の姓に揃えること(他国籍保持者の結婚もあったが,その場合の書類上のことは判らない)──というのはよく(いや,ひねくれて?)考えると不思議な制度だなあ,と思う.

多少乱暴な表現をとるならば,こと結婚に関しては,それが何の研究者であろうと,何を造っている人間であろうと,いや研究者やあからさまにクリエイティヴな職業でなくても,あらゆる人間がこぞって男女のペアを組む点で,何の個性もない.衣装まで大抵同じような雰囲気だし,結婚式場という意匠の様式があるかのようだし(五十嵐太郎『結婚式教会の誕生』),式次第も大抵一様だ.乱暴ついでにいうならば,もし結婚後に多少間違った意味で,内面に関わる「個性」を追求しようと思ったら,不倫しか残らないとすら言えないだろうか(制度の侵犯?).いや穏当に述べるならば,多分結婚したら結婚したで,思い思いの家庭像をそれぞれに実現していくのだし,個性はもちろん家庭生活だけでなく多様な発揮の仕方がありうるのだから,結婚後の生活が十分「個性」的なのは,十分理解している.もともと生きていること自体,定まった軌道上を進むことではないのだから,そういう制度に投企するのも悪くない.

要は言いたいのは,結婚という制度と自意識とがそんなにいつでも誰でもしっくり重なるものではないだろう,ということ.もちろん,そういう制度と付き合っていけるのが成熟した人間の証だということも可能だ.繰り返し言うが,僕や友人たち個別の意識は全く除外して読んでほしい.でも制度と「適当に」付き合いながら自分の名前を刻むということが,僕にとってはちょっとした課題だったりもする.多分高校生の頃からだな.うん,幸せな中学生だったものだ.

その上であえて僕の意識を書くならば──というのが,僕がときどき冗談にすることなのだが(これを書くための長い前置き,と捉えてもらえば幸い).ま,これを言うたびにいろんな人に怒られているのですけど.
僕にとって重要なのは「いつ」「誰と」結婚するか,ではない.
「どの建築で」式や宴会を開くか,だけである.

by d_ama | 2008-04-11 02:21 | human network

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