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2007年 06月 17日
plenary power of nomadic eyes
ノマディック美術館.坂茂の設計で,すでにNYとサンタモニカで組み立てられ解体され,東京で再び組み立てられたものらしい.紙管の柱,コンテナと黒布の市松模様の壁,屋根もおそらく布かビニルの幕で,水仕舞いだけは何か金具を使っていると思われる.プリミティヴ・ハットを思わせる三角トラスが長手方向に2本展開した構造で,結果的にかなり天井高のある切妻屋根の棟が2つ.彼の建築を見たのは実は初めてだったので,天内的にはそれでOK.知識としては知っていたが,紙管とはいえかなり堅固な素材のようだ.仮設建築とはいえ防火上の規定をどうクリアしたか不思議だが,おそらく紙管を中心に防炎処理を施してあるはず(コンテナにも何か塗ってあったかも知れない).内部で展開された展示内容にきわめて密接し,とくに夜間は美しい効果を出しているが,おそらく先にあったのは展示内容のほうなので,その意味でまたその面から建築家に責任を負わせるのは酷だろう.
内部では人間と動物の交流が,きわめて程度の高い作り込み,おそらくは綿密な仕掛けの下で描かれる.人間と動物の親密な時代と,別れの瞬間とを描いたそれぞれのフィルムの上映が,中央の映画上映を挟む構成.中央の映画上映はたまたま二つの切妻屋根に挟まれた天井高の低い部分だったので,暑すぎて見られず(実際にも60分の映画だったそうで,暑くなくても立ちながら通しで見るのは不可能だった.前の方に紙管製の椅子が置かれていたはずだが,そこまで達する前に諦めた).その3つの映像上映へのアプローチと,そこからの退場路に,和紙にプリントアウトされた写真が並べられていた.
ここに登場する人間はほぼ全て子供と女性で,人間の意思を示す眼差しは閉ざされ(耳を閉ざしている写真もあった),まどろみを強調する(安堵の眠りという印象は受けない).唯一出てくる成人男性は,鯨とともに泳いでいた人物,どうやら作者グレゴリ・コルベール本人らしい.また,全ての映像はセピア色単色だが,これはジャングル,砂漠,極地などを通じた気候の差異を乗り越え一般化する操作であると同時に,僕の印象では黄昏,まどろみの時間の印象を与えるもの.このノスタルジーこそ,男性原理による動物の疎外を生み出したのではなかったのか? また人間の知恵の象徴=書物を動物が眺めていたり,人間がそれを動物に示したり語り聞かせたりしているイメージは,結局人間による動物の知的征服を示していまいか? 砂漠,ジャングル,極地といった気候と,そこにいる動物と「女子供」とを特権的に描く眼差しは,何やらオリエンタリズムの匂いすら感じる.
もっとも,人間自身が人間の知恵=書物を前にしてまどろみ,動物の方がその人間と書物を前に適応的に行動しているという構図は,多少示唆的か.とはいえ人間が動物にばかり希望を見出すようなことは不可能だし,自然的存在の代表として動物を持ち出すのは安易ですらある.かなり飼いならされていたようだし,野性を引き抜かれた動物と人間の交流に何の意味があるのか,また野性を保った動物と人間の交流など今まで本当にあったかなど,疑問は尽きない…….まあ動物がかわいいとかよくこんなシーン撮れたなとかの視点で見ている分には無害で楽しいはずだ(それらが最善の見方だとも考えられる).また関連商品の単価がものすごく高いので,その桁を確認しに行くのも一興.
来週日曜まで,東京テレポート駅そばの空き地にて.

最近このブログの配給元であるエキサイトが,「つぶろぐ」なる変な機能を出しては引っ込めて以来,挙動不審です(ブログシステムそのものが).Trackbackが張れない時間帯があったようですが,僕ももうよく判りません.なるようになり,いずれ安定期を迎えるものと思われますので,不都合があった場合はもう少しお待ち下さい.

by d_ama | 2007-06-17 02:32 | events / art

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