人気ブログランキング | 話題のタグを見る
2005年 08月 14日
津軽で会った人々
8/3夜に弘前に行った.夕方に羽田空港第1ターミナルで食べたデリはごく普通.
4日は,今抱えている仕事に疑問を持ったので一旦中断し,ぶらぶらと関係ない本を読んだ.
5日夜に弘前駅前のホテル内の和食レストランで母が結婚前に勤めていた時代の会社の上司(札幌の人だが,初めて東北を旅行で訪れた様子)と会食.話すことがあまりないのでとりあえず酒に手を付ける,という飲み会撃沈ありがちパターンにはまりこむ.ただ,飲んだ酒の味は覚えているし,弘前とこれだけの関係を持ちながらほとんど初めて最初から最後まで見たねぷたの印象も,ねぷたが終わってからはしごした,津軽三味線を聞かせる店(はじめから2階分の吹き抜けにステージを設えてあった.バイトの学生が三味線を聴かせてから注文を運んできたりする)の構造や三味線の音も覚えている.覚えていないのは,深夜の長電話の内容くらい.
6日も読書ばかり.『マッカーシズム』(岩波文庫)読了.ここ1月分の『週刊文春』『週刊新潮』を流し読み.『文春』は情報誌のように拾い読みだし,『新潮』は保守的な言辞に毎度のように反発しながらそれでも読んでいる.ヒトラーの青年期を追った本に手を付ける.自分に世界史の勉強が(も)足りていないことが判っているので,関係ない本でもいろいろ手を付けている.そんな暇があるのか,という問題はさておき.
7日は父に連れられ,某イヴェントへ.青森市では子供騙しのイヴェントが成り立ってしまっていた.見せられている観客も,おそらくは地方を巡業している業者から展示セット一式を一定期間貸し付けられたのだろう,主催者の某放送局も,そうでもないと施設が維持できないのかも知れない会場関係者も,その文化的な価値基準の上での「貧しさ」に辟易しているに違いない.業者だって,10分に1度音楽に合わせて踊る恐竜の人形を作ってお金を取らねば生きて行けないのだろうから,最大にかわいそうだ.口直しに,三内丸山遺跡へ.実は,復元建物が竣工してから訪れたのは初めて.問題になるのはいつも6つの柱穴から「想像復元」された多層建築物(の,柱の上の構造とフォルム)であるが,僕としては柱の太さに比べて柱間が狭過ぎるのではないか,という感想を持った(もちろん復元建物は実際の遺跡で発掘された柱跡に忠実に再現してある).梁の技術が未熟だったのか,柱を狭く林立させることに何か意義があったのか,よほど重いものを梁の上に載せていたのか…….青森県立美術館は内部の工事に入っている様子.青木淳は思想的には好きな建築家です.建築物では,所謂ハイテックな感じのものが好きなのですが…….青森市から岩木山中腹の嶽温泉「山のホテル」へ.夕食が多彩かつ大量で,持て余すが,美味しい.久しく「料理のまずい宿」に当たっていない(あるいは当たっていても気付いていない)幸福.深夜,2度目の入浴をしていたら,大正15年生まれという方と思わず日本近代建築思想とはどういう分野か,どういう建築物を見て面白かったか,などなど話し込む.連絡先を交換したら,札幌から帰ってきた日にはすでに先方から手紙が届いていた.まだ返事していない.
8日に岩木山から弘前に帰ってきて,夕方から今度は五所川原の立佞武多を見るため移動.「立佞武多の館」に収納されている三基のネプタは前回弘前を訪れたときに見ていたが,その館の高さ30m弱の扉が開いて,そこから25mほどの高さのネプタが「出陣」して,大して高層建築がない五所川原の街を闊歩する姿は初めてみた.五所川原近辺の高校が五高と五農の二つそれぞれにネプタを作っていた.近隣に工場があるルネサスと青森銀行とが左右に別れて一つのねぷたを牽いていた.カラスハネトみたいな人々が踊り狂っているのも初めてみた.
9日夕方に札幌へ移動.

by d_ama | 2005-08-14 16:01 | human network

<< 札幌で出会った人々      札幌市について >>