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2006年 11月 05日
日常と貴重との境界線
自分の生活の中で,人に会うことに費やす時間は相対的に少ないはず(仕事は一人でできるし,仕事場は自宅なのだから).しかし比較的広範囲の人々と,様々な仕方でお会いするようになってきた.
人間関係を数種類のレンジに整理できるだろうか.日常的に会う人がいて,定期的に会う人(週1回だと「日常的」との境目が微妙だが,例えば月1回とか)がいて,会うこと自体がスペシャル,という人もいる.普段よく飲んでいる友達から近所のバーに行けば会える人まで,プライヴェートで会う人が「日常的」,大学やアルバイトなどは「定期的」,同窓会や仕事抜きで大学の友達に会うときなどは「スペシャル」にあたるだろうか(早く会えるようにしよう>Hくん向け個人連絡……いや,彼このブログ読んでないな).
いや,どう整理しても例外が出てしまうことは最初から諦めておくとしても,人間関係に対する分類という仕方に無理があるかも知れない.mixiでは「マイミク」を分類する機能が最近付加されたが,どう分けてもその分類タグの名前を超えるケースが出てくるし,「その他」タグを付けざるを得ないケースもできるだろう.
大切なことは,同一人物でも,同時期の機会であってさえ,日常的な会い方とスペシャルな会い方とがあるということだろう.日常のつもりでスペシャルな会い方をしてしまうと,その時間の貴重さを損ねてしまうから注意だ.僕の場合,そのことはぞんざいな発言に現れるらしい.そのように「日常」をぞんざいに扱っていたのかも知れない.日常と日常の狭い合間に,予告なしで突然に,貴重な時間は現れ,他の仕方では現れないのだから,それに対処するとすれば「日常」に対する態度にしか道はないはずだ.それなのに.
また近年毎度スペシャルに会っている人でも,自分のことを非常によく見て下さっている,解って下さっている,と感じ入ることがある.そういう存在はものすごく貴重だ.そこから翻って考えると,課題は二つ:僕がそういうスペシャルな相手にとってきちんと貴重な存在になれるか;日常的に会える人まで含め,自分が相手をどれほどよく見られているのか.スペシャルなものであれば当然のこと,もしかしたら日常のものでさえ,「次の機会」を待つ間には,その機会を請い願うまでに,考えるべきこと,実行すべきこと,身に付けるべきことが山積しているといえよう.

こういう思考が,たぶん「感情」.
……と言い切ってしまっているのは,実は「感情」にすぎない.今夜久々に洗濯しながら心配ごとを見つけ,それに対する行動を決めかねたので,例によって文章を書いてみる,という順序.──うーん,この分類だと,(僕の大好きな)理性と感情のせめぎ合いをうまく言い表せないかも知れない.理性が感情の全域に浸透しているようにとれるから(価値を扱うところだけ「感情」と呼んでしまっていまいか).あるいは,衝動と感情のせめぎ合いと言わざるを得なくなってしまうかも知れない.それは嫌だなあ.

by d_ama | 2006-11-05 22:49 | human network

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