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2006年 07月 04日
Cultural Typhoon
会場となった下北沢成徳高校って,陸上競技の大会でしょっちゅう見かけた「東京成徳」とは別物の学校だったのですね(そしてヴァレーボールが強いのはこっちだったのか).ヘタな大学よりもよっぽどよい設備で,びっくりしちゃいました.設計は大成なのでしょう.
さて,このイヴェントでの最大の収穫は,『「建築外」の思考──今和次郎論』の著者黒石いずみさんとの知己を得たこと.「地域運動『以前』:住環境問題の共通認識はどう可能になるのか」というセッションタイトルから,通時的な建築運動の話だろうかと思って行ってみたら,もろに現代の,いまここにある問題としての,住宅公団による分譲住宅の,ディヴェロッパによる建て替えに関する問題だった.阿佐ヶ谷住宅は前川國男の関与があったし,何より僕が小学生の頃に住んでいた地域とそんなに離れていない(呈示された地区の模型の中に,僕が小児喘息だった頃通った小児科医院が含まれていたほどだ).不可解な行政手続き(区長の山田宏氏,都知事を目指すらしいが,石原慎太郎路線の継承になるんだろう.杉並区はわりと戦後民主主義の強い土地だったのが,すでに「つくる会」教科書の選定にみられる通り,少なくとも行政レヴェルでは右に転じている.杉並区単独の小選挙区から選出され続けている衆院議員も石原伸晃氏だ)や生臭い土建業界などの諸力に巻き込まれながら成田地域まちづくり協議会が立ち上がった(泉岳樹事務局長はあの東大サークル「環境三四郎」の創立者だったらしい.今はヒートアイランド現象の専門家.もう一人,声を上げ始めた方でT氏はアスベスト問題がきっかけだった).この個別的な具体例から公共性に関する議論を導くというのが狙いのセッションだったが,具体例で時間切れになってしまった感じ.もともとCultural Typhoon自体が,都道54号線問題から注目を集めている下北沢を敢えて会場に選んでいるので,小田急線複々線化も含めてこの手の問題に関心が強い人が集まっていたし,「成田地域」(阿佐ヶ谷住宅とはいうが,住居表示でいえば成田東4丁目)で活動している人達も下北沢の問題についての展示などを見て,彼我の組織力の差に舌を巻いていた(下北沢はすでに坂本龍一氏を含む運動の盛り上がりがあるが,阿佐ヶ谷住宅はその点ではなかなか及ばないので,別の路線を考えねばならないだろう).
黒石氏とは分離派と今和次郎の話,歴史記述の話でちょっとだけ盛り上がる.研究についてだいぶ励ましてもらった.その後昼食もご一緒したが,席が離れてしまったので話題は成田地域の話.日本の制度に関わる話を,同席したドイツとイスラエルからの留学生に英語で説明するのが,一番難しかった気がする.日本の悪い癖なのか,この案件特有の事情なのかをめぐって,ドイツ対イスラエルの議論が始まると,二人とも建築学か都市工学の専攻なので,多少付いていけなくなる.
午後遅くから,セッション「「日本」の文化と「空間」への問い」.加島卓氏の発表は一度聞いたことがあるし,亀倉雄策についての修士論文の別章を取り上げたものだとのことで,安心して聞けた.発表要旨が刺激的にまとめてあって,この点を議論できれば実り多かったと思われる.新倉貴仁氏の「想像の共同体」をめぐるインドネシアを取り上げた発表はそれ自体としては面白いが,なぜこのセッションに含まれているのか,また具体的な問題とアンダーソンの枠組みとの連関がどうなっているのか,時間に追われてあまり明らかにならなかった点が残念.もう一人の方の発表もあったが,伝単に関する資料の呈示ばかりで,理論的にどの点を拾うのか全く見えないまま終了.別のセッションから当日になって転じてきた発表だとのことだが(しかも題目・主題がかなり異なっている),多少年嵩なので教員かと思っていたら,どうやらジャーナリズム出身の学生のようで,評価を不当にきつくしてしまったか,と考え直す.
次のセッション「東アジア都市の日常,感覚そして歴史」は,発表者3人中2人,コメンテータ2人中2人,聴衆のおそらく半数以上が韓国人で(所属は日本だったり韓国だったりする),もう少しでセッションがすべて韓国語になりそうな,奇妙なドキドキ感(英語だけが外国語だと思っていると痛い目に遭う).どうにか日本語でも進めてくれたので助かった.李宣坭氏の丁玲についての発表は,陳丹燕の小説によく出てくる女性作家だったのでかなり入りやすかったが,女性主義という用語法ならびに女性主義として用語を立てる必要性の2点で疑問があった.KIM Yerim氏のソウル都市文化の変遷についての発表は概説的な感じもしたが,日本と韓国の平行的な動きが感じ取れて面白かった.寺田篤生氏の東京の帝都から首都への転換についての発表は,戦災復興計画の挫折については越沢明氏の著書でもある程度広汎に知られている事柄(例えば『復興計画』中公新書2005).しかし50-60年代に皇居移転論がこんなに大々的になされていたとは! ここにフォーカスすればもっと面白かったろう(韓国人の視点が入るとより議論が面白くなったのに).

全体的に──これはほぼあらゆる学術イヴェントに言えることだと思うが──発表時間が長すぎて,議論の時間があまりとれないところに不足を感じてしまった.せっかくのフランクな雰囲気の中での発表なのだから,議論にこそ大幅な時間を割きたいというのが主催者・発表者に共通した認識だとは思う.その一方で,ある程度の発表数も保たないとひとが集まらないということもあるので,バランスをとってあるべき姿を実現するのは,思った以上に困難なのだろう.しかしいま下北沢でこういうイヴェントができたということの重要性は,いくら強調しても(tabキーを打ってこれ以降を自動入力させたくなる←UNIXを操作したことのある人だけ分かって下さい).

by d_ama | 2006-07-04 01:13 | events / art

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