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2006年 06月 20日
理系白書
同僚というべきか先輩というべきか迷ってしまう方がいるのだが,彼の最近の話題ないしその論調に垣間見られる世界観が,以前の自分の世界観に酷似しているような気がしている.気分的にも状況的にも落ち込んでいて,未来永劫這い上がれないのでは,という自己認識が,かえって特定の層に属する他者に対し,過剰な期待と過剰な不信とを同時に抱かせてしまっていたのだが,その自分と彼をつい重ねて見てしまう(当時はあるテーマについて考えると,てきめんに(?)胸が痛んだものだが,今彼について考えると同じ痛みが再発してしまうので,結構つらかったりする).そんな彼に,今度暇潰しのつもりで「理系のための恋愛論」でも読んでみたら,と軽く奨めてみようかどうか.時間の浪費を奨められた,と受け取られたら困るが…….
さてこれとはまったく関係なく,『理系白書』(毎日新聞科学環境部,講談社文庫2006)を読んでみた.あたかも理系の中で一般的であるかのように書かれている研究室内の人間関係は,美学のほうがどうやらずっとオープンであるように感じる.安心?
これまでの「文系支配」と呼ばれているものはどこまでも「法・経済学部→官僚・経済界」支配であり,文学部とはおおよそ関係ない話だと思われる.〈文/理〉の融合で注目されているのは心理学とか社会学とか,東大であれば旧「社会学研究科」の科目であって,旧「人文系研究科」はお呼びでない感じ.それが寂しいとかではなく,むしろある支配的な対象(と思われるもの)に対抗軸を打ちだすときに,逃れ落ちてしまうものがある──という文学部や教養学部○○文化科学系ならお得意の主張をここに適用してみると,実際に逃れ落ちてしまったものが当の文学部・教養学部になってしまうところが面白い.ここで押し出されている「理系」なる語が,様々な軸上の対立を等し並みに見せてしまっていることは,著者たち本人も気付いている様子.それでも「理系」を主張せざるを得なかったところが,2002年当時の日本の「閉塞」状況だったということだろうか.心情的にはよく解るのだが…….
昔「解釈改憲」や法律・政令の「解釈」を巡る駆け引きなどを学んでいたとき(中学受験でも中学の公民の授業でも)に,理系の人間がJISを作っているように法律を工学部の人間に作らせればいいのに,と思ったことがある.今だったら結構恐ろしいと思うけど,言葉の曖昧さに対して率直なのは,むしろ理系の方だという認識は今も変わっていない.
僕自身,高校まで理系にいながら今は文系(『理系白書』でこぼれ落ちてしまった「文系」だが)に所属しているから,〈文/理〉という二項対立には(反発という形で)結構囚われていた.今も囚われているかも知れない.その一方で,僕の諸学問への認識が,だんだん東大内部の組織構成と重なってきつつあるような気もして,それはそれで問題だ.

by d_ama | 2006-06-20 02:20 | books / studies

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