2006年 06月 04日
アートスタディーズ[全20回]/レクチャー&シンポジウム 20世紀日本建築・美術の名品はどこにある? 第6回 1930年〜(39年) テーマ:《和洋統合の精華》 ゲスト講師: 【建築】八束はじめ(建築家・建築批評家。芝浦工業大学教授):テーマ「日本的なもの」 【美術】島田康寛(元・京都国立近代美術館学芸課長):テーマ「日本洋画への批判/須田国太郎の道」 八束氏は吉田五十八の和風住宅に見られる近代的な認識の枠組み,また彼のhierarchicalな「全体の関係性」=構築性の重視を指摘.堀口捨己の近代和風との比較は面白かった.曰く,吉田五十八は近代以前から受け継がれてきた「木割書」の再構成・再解釈により自らの規範を編み出したが,その枠組みゆえにnationwideになることはできなかった.一方堀口は桂離宮の規範をいわば流用しただけであり,「モノ」を向いている吉田に比べ「理論」向き,「形而上学」的である.それ故に戦後の建築界が堀口の「形而上学」を弄しやすく,堀口は建築界の主流に押し上げられたという.他にも内容が様々に込められ,また大著『思想としての日本近代建築』の話と重なる部分が多かったものの,明快な構成によるまとまった,かつ豊饒なレクチャ. 島田氏は日本の一画家が「自らの呻吟の上で」実現しつつあった個人の特徴をそのまま「日本性」の現れとして素直に受け取ってしまっている.日本人が日本で発表する「洋画」という「ねじけた事態」という指摘はその通りだが,そうした個人の試みを「日本性」に回収しかねないコメントが続き,また話も須田国太郎以前の状況の解説が主で,それに対する須田の対応を明確に位置づけることはなかった.しかし発表後のパネリストのコメントでやっと位置づけが分かり,つまり須田は西欧の中でも(フランスではなく)前近代のバロック性を帯びたスペインのプラド美術館に赴いたり,ヴェネツィア派を研究したりした上で,独自の塗り重ねては拭う描法にたどり着いたということだったらしい.彼が日本洋画界批判として述べていたらしい「常なる新たな花」という発言も,どうやらフランスのサロンの主流派だったラファエル・コランから始まり,セザンヌやルノワールに学んだ安井・梅原の時代に至るまでの西洋の追従に対するものだったのだ,と今納得した.だから本当は,須田国太郎に見られる「日本性」よりも,須田国太郎受容,ないし須田国太郎が仮想敵とした日本の状況にこそ「日本性」を見取るという発表にすべきだったのではないかな.それとも僕の聞き違い聞き忘れだったのだろうか. 夕方からの懇親会は失礼して,家に帰って明日の準備をするつもりが,友人に誘われ結局ふらっと渋谷で飲んでいた.友人の誘惑も,明日までに要約するテキストの誘惑も,どちらも満たしていたい欲張り野郎は,そのうち痛い目を見るかも知れない(すでに見ているのに気付かないとしたら,もう取り返しがつかないかも知れない).
by d_ama
| 2006-06-04 03:18
| events / art
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