2005年 11月 11日
そう.NPOというのは,きっと現代版の運動団体.アート・建築関連で乱立気味(笑)なのも,大正期の各種新興芸術運動と似ている.どうか,大正期のように短命で終わる団体ばかりになりませんように.せめて,分離派建築会のように,8年はもって下さい. 大正期の芸術運動を担った人々は,非常に若かったのが特徴.村山知義は22才で「マヴォ」を立ち上げた(その直前には「意識的構成主義」展覧会を3回立て続けに行っていた).分離派建築会の発足は大学卒業直前,彼らは25〜26歳だった. といっても,今NPOに携わっている(少々の野望もあったが,その野望は潰え気味で,でも続けているという感じ)僕もまだ25歳.主要スタッフの一人は,僕より2,3才下の人か.しかし今主導的に動いている方は,たぶん30代前半.理事長になることが予定されている方は,たぶん30代後半.大正期の芸術運動に比べ,年齢層が拡がっている.他の団体ならば,もっと年配の方々も大勢いることだろう(というか,そういう団体の存在は判っている).また対話の密度は,おそらく大正期に顔を突き合わせているよりよほど濃いだろう.これは,顔を合わせたことのない人々ともとりあえず作業を共有することができることをいっているのだが,つまり技術的環境が備わっているからである. 理念的な共鳴や同盟関係ばかりでなく,制度的裏付けが伴っているのも現代のNPOにあって大正期にはなかった特徴である.昭和に入って新興建築家連盟になると,負の形で,体制に負けるという(べきかも微妙な)形で,体制に関わるようになるが,マヴォがどんな制度と関わっていたかというと,あまり思い当たらない.経済的な裏付けは,例えば岩波書店ないし岩波茂雄と分離派建築会とか,朝日新聞と「アクション」とか,大正期にもいくつか支援の例がある. 大正期の大学出の人々は,運動団体を組織することで社会との繋がりを保とうとしていた節がある.運動することで,社会に対し何事かなしている気になっていた.その実際の効果については,もう少し検討を加える必要があるのだけど. NPOに携わる人が,どういう心理的動機で動き出しているのか,その理念にはどのような負荷がかかっているのか,どのような方向づけがなされているのか.たぶん活動に一段落をおいたときに,僕はそれらを認識することができるだろう.活動に携わっている間は,ひたすらアンテナを張って,感じ取る,記憶する,のみである.それは,僕の能力的限界.
by d_ama
| 2005-11-11 06:15
| human network
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